見どころとは?/ レイク
[ 936] 篠原勝之公式ブログ 『KUMAの見どころ』〜ゲージツ家KUMAのそぞろある記〜
[引用サイト] http://yaplog.jp/kuma-midokoro/
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湾岸地区のスクラップ・ヤードを点々としていたから、バーナーで鉄を切り刻む男等や出入りする十トントラックの運転手等とも顔見知りになっていた。運び込まれてくる鉄屑でそびえ立っていたスクラップの山に登って、世界を見渡していたのだ。 回転速度、摩擦係数、水や、風や、土の記憶を持って錆びていく鉄屑を見渡して、オレの手にかかる鉄を引っぱり出しては錦糸町の借りていた工場跡に運び込んでいた。バーナーやグラインダーで巨大な鉄の文明をコラージュしまくっていた。 やがてクラッシュ&ビルトの風が吹き、コンクリートまみれの鉄骨やH鋼に混じってFRPやプラスチック等のスクラップが増えていた。 FACTORYを構えた東京下町もマンション街に変わってしまい、オレのいまの工場は山梨の山岳地帯に移っている。大きな鉄へのデッサンは増えるばかりで、銅板に刻み込む鉄のデッサンを腐食させることが多い日々だ。 <暗箱男シリーズ>は一月後半から山岳のFACTORYで始まったオレのプロジェクトで、ちょうどNHKの<わたしが子どもだった頃>というドキュメント番組とシンクロして始まった。 大きな銅板に刻むための二メートル立方のピンホール暗箱は、、ガキのジダイにメリヤス編みをしていたゴミ箱と相似である。 鉄を求めて頃、浮遊していた湾岸地帯を十数年ぶりに訪ねた。当時まだオレと同年配だった労働者が爺ィになってまだ働いていた。ヤードには、相変わらず海風にさらされていた。錆びてヤードの土に戻っていく鉄がオレの血をまた騒がせた。 二月は和歌山の太地を訪れた。南紀白浜空港まで、奈良の山奥から三時間かけてピッカリ君が迎えに来ていた。個人的な興味の取材だったが、太地までここからさらに二時間。新宮まで足を延ばし、なれ鮨を食う。 生まれてすぐ嗅覚を失っているオレはなれ鮨が大好物だ。やさしい微生物の味が頭蓋を充たしていた。三〇年物はもう形も溶けて小さな壺に入っている。山岳で乳酸菌の豊かな味を楽しみながら玄米のメシを食う。 和歌山県・太地にて浮遊中。クジラの古代捕鯨の港。すっかり面影も消え失せ、殺風景のなかの一番刃刺しの像。 雪は久しぶりで嬉しくなり、しばらく、開けた口で降ってくる雪を受けて遊んだ。銅板に刻んだ太い線や、ドロッピングをもっと濃い色にするためのアクアチント・ボックスを作ったり、白ロウと松ヤニとアスファルトを煮詰めた物凄い臭気、手製の液体グランド作りである。 年が明けてからの山籠もりは、この歳になって銅の腐刻画を独学するエキサイティングな日々だ。勝沼でワイン作りをしているワイナリーを訪ねる朝になっていた。 雪に包まれていた鳥居平の葡萄棚の傍で、初対面のオーナーが立っていた。彼のコレクションのシャガール版画で飾られたレストランで、葡萄の絞り滓で育ったというワインビーフを馳走になった。 蟻の巣のように巡らせた暗い地下セラーを懐中電灯を頼りにいく。埃や蜘蛛の巣がはったまま横たわっている古い一升瓶群が鈍く浮かび上がった。「この辺は100年前のワインだよ。この蔵全部で、40万本は睡っている」。勝沼盆地を見おろす彼の応接間に上がるとまたもシャガールがいた。五〇年前の一本を開けてくれた。いつの間にか、もちだしてきた一本。「五〇年前のだよ。記念にお持ち帰りを」。 滲みだしたワインの酒精に酸化した長いジカンが張り付いたコルク栓、もちろん瓶も埃が焼き付いたように半透明になっている。 もう三〇年ほど前、深澤七郎親方の<ラブミー農場>で書生をしていた頃、石和出身の彼は「これは勝沼の知り合いの酒蔵のだ、町には出ないものらしい」と言って飲ませて頂いた、汚れた一升瓶のワインを思いだした。 夜、頂いた古いワイン瓶を抱えてエッチング部屋に戻った。液体時間をたらふく呑んだイイジカンだった。立春、ストーブを点けても暖まらないワイ。 その予感が熟した正月早々、一九〇センチ立方の巨大な<カメラオブスキュラ>を作って、二トントラックの荷台の上に設置した。 闇のキューブ中に這入ったオレは<暗箱男>になった。なんとも激しい年明けである。トラックを村のスダさんが運転すると、箱の前面に開けた五ミリのピンホールから、外界のヒカリが飛び込んでくる。遠ざかっていく逆さまになった巨大な風景が、一メートル×七十五センチの銅板に結ばれた。生暖かい春の温度を体感しながら、倒立したヒカリの乱舞に眼を漂わせて、懐かしい目眩を感じていたのだ。 ガキの頃、オレはヒト目を盗んで社宅前に設えてあったゴミ箱に這入って、オフクロに貰った屑毛糸でメリヤス編みをやっていた時期があった。クルクルパーになったオレは、ヒカリの中で遠いジカンを旅していた。 穀倉地帯の米を貯蔵しているライスタワーの前でとまったようだ。暗箱のなかの銅板上で踊るヒカリの群れを素早く捉えて、刻み込むのである。 冷え込むFACTORYの版画部屋戻り、硝酸の中で刻々と変化する<版>に、なおもドライポイントで記憶のヒカリを描き込んでいく。手作業が想像力を奮い立たせ、オレを睡ることを忘れさせる。駆け付けてくれたエッチング作家の永澤が、泊まりがけで刷りを担当してくれた。 しかし、オレのプレス機は、強力な圧力を必要とするエッチング専用に作られてはないらしい。1メートル×75センチの大きな銅版を試刷してみると、画面の中央に圧力の斑がでるようだった。機械のその癖をも味方にして、一枚だけのエッチングを刷り上げた。大満足の刷り上がりである。オレの無意識を撹拌する手仕事が、激しくも新たな予感の四日間だった。 今年最初の(誰ピカ)収録。ゲストの歌手・前川清さんや、タップダンサー・中野ブラサーズ。間近で耳にしたあのコーラスや歌声、70歳を超えてなお早いタップ。パントマイムやヒデボーの技。 イイものを観た後、番組全スタッフの恒例の新年パーティー。北野武巨匠の誕生日。番組特性のケーキ登場。カンバーイ。 新年早々、お年玉である。な、なんと船村徹さんからだ。船村徹といえば、演歌の大御所である。番組の控え室で初めてお会いしたおりに、オレの釣りエッセイをJAL機内誌で読んだばかりだと仰る大御所は、若い頃から故郷の栃木の川でテンカラ釣りを楽しみ、しかも彼は毛鉤は全て自分で巻き、今まで三ン万本はつくったという大の釣り好きで、テンカラ釣りの話で盛り上がったのだった。 今ではもっぱら物ぐさな船釣りばかりになったオレも、渓流でのテンカラが始まりだった。「要らなくなったは毛鉤があったら分けてください」オレはムシのイイお願いをしてそのまま忘れていたのだった。 <2008年元旦 船村徹 手製毛鉤>と記されたフライフィッシング用の小箱に、大御所手製の美しい毛鉤が二〇数本レイアウトされているじゃないか。 なかでも解禁直後の喰い渋りに有効な米粒ほどの鉤は感動モノである。オレのテンカラ釣りを教えてくれたうえに、甲州テンカラ竿を作ってくれた外川名人が亡くなって七回忌の今年、久しぶりに大武川のアマゴと知恵比べしてみるか。 「セリ、スズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」思いだしながら、まな板の七草を包丁で叩いて拍子を取り刻む。 特にケジメもないまま元旦も過ぎて、エッチング部屋と寝床を往復して今日は七日になっていた。快晴の林を散策。積もったアカマツの針葉を蹴散らすと、タンポポの黄緑の葉が地面に張りついていた。こんな色を見つけたコトでも何だか嬉しい。 久しぶりに村のスーパーまで下ると、店頭で<七草がゆセット5人前>二九八円也。銅を腐食する硝酸ですっかり荒れちまった指で研ぐ一合の武川村米を、土鍋でゆっくりと粥に炊きあげた。 ゲラントの塩で味を仕上げ七草をいれた。七つの草がどんな意味を持つのは正式なことは知らないが、冬を破り春へ向かう<植物の力>にあやかろうという呪いに違いない。 出雲大社の御札を奉ったFACTORYの神棚へ供え、新春をことほぎ二礼二拍手一礼。揺らいだ燈明の炎が、痙攣するヒカリの肉に見えた。春をことほぐロウソクの火が、唐突だったが未だ生きているような肉の色。高校時代に美術教師から借りて、夢中で視たスーチンの画集。 揺らぐ燈明で、美人歯医者さんにお願いして借りたこの図版群が、遠い記憶のスーチン肉の色に繋がったのだ。春の植物群と、言葉を吐きメシを喰らう部位とが、何の脈絡も無く神棚で出会ったというだけだ。「知識では決して把握できない根源的な生々しさ」か。2008年も始まって一週間が過ぎた。 トレシングペーパーで和らげたスタンドの光で、エッチングの細かい線を刻みあまりにも眼を酷使した一年だった。 久しぶりに海原の遙かな水平線に目を漂わせ、視覚を少し取り返さなくちゃな。竿納めのヒラメ釣りに出掛けた。房総の大原港。低気圧の大シケ、寒ビラメ釣りの特有の気候のなか出港。海底の砂まで巻き上げる底荒れ状態らしい。寒いは、うねるはで、大半の釣り人は船酔い、嘔吐で釣りにならない。 船酔いのないオレも釣果も芳しくないまま終了。大うねりの水平線では眼を休めるどころではなかった。酷い船酔いのなかで、釣り上げた1kgちょっとの薄っぺらいヒラメ一枚を家族に持ち帰る涙ぐましいヒト等を見送り、カーペン君ともう一日海に出ることにした。 天はオレ等に味方して、予報の大嵐は見事に外れた<ヒラメ日より>。オレは余裕で眼を水平線に漂わせながら、年明け早々からのアイデアを夢想。ヒラメ4,5枚の他、マトウダイ、ホウボウ等のお土産も2,3枚のイイ釣果だった。 甲板でバタバタ騒ぐヒラメの鰓ぶたを返し、血抜きの出刃を脊椎に突き立てた。血を吹き出すヒラメと眼が合った。トドメの一押し。猫の目みたいなヒラメが大人しくなった。『オマエを昆布〆で美味く喰うためだ、許せよ』。ヒラメが最後に視たのはオレの眼玉だったか。今年最後の殺生だ。 オレはべっ甲色になった<昆布〆>の美しい半透明を眼でなぞる。利尻昆布とフランスはゲラント岩塩で締めた房総ヒラメの白身は奇跡の味だ。 眼という器官の<視覚>は解像力という脳とセットなのだ。でなきゃ、単なるゴミ箱のフシ穴でしかないのだろう。 グラフィックデザイナー、画家、絵本作家、状況劇場のポスター、舞台美術を手がけた後、エッセイ「人生はデーヤモンド」(1981)で注目を集める。1985年、ビルの解体現場で出遭った有機的な鉄の姿に衝撃を受けて以来、“鉄のゲージツ家”としてダイナミックな造形をモンゴル、サハラ砂漠、をはじめ国内外で精力的に創り続け、ドキュメンタリー番組も多数制作された。50点に及ぶ常設作品や、近年はガラス・石・木・布・・・と多岐に渡る素材で、土地の自然に呼応するインスタレーションを次々と発表。作品の無国籍な力強さは欧米でも評価され、独自のスタンスを貫いている。 |
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