和食とは?/ レイク
[ 1370] 日本料理 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%99%E7%90%86
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和食はこの項目へ転送されています。高知県芸西村にある地名、同地に所在する駅については和食駅をご覧ください。 日本料理(にほんりょうり・にっぽんりょうり)とは、特に日本でなじみの深い食材を用い、日本の国土、風土の中で独自に発達した料理をいう。日本食、和食とも言われ、海外では寿司、蕎麦、天麩羅などがよく知られる。 ただし、オムライス等のいわゆる「洋食」は日本で独自の発達を遂げた料理であるが、通常、和食とは呼ばない。 非常に狭い定義では、日本独特の料理群を指し、「和食」ということもある。この場合、日本人が長い間食べてきた食事であっても、それが日本独特なものでなければ「和食」とは呼ばれないことになる。 日本料理と「日本人が食べてきた食事」とは必ずしも一致しない。時代や社会階層や地域によって差があり、調理法も、古くから東アジア諸国、西洋などからの伝来を発祥とするものが多い。現在、日本人が食べている食事の中で、他国の料理としての度合いが強いものを除いた残りを「日本料理」と言うことが多い。 例えば牛丼や肉じゃがは、味付けに醤油や出汁、みりんなど日本特有の調味料を用いるから、日本料理であると考えられる。また、蕎麦屋、割烹などの日本料理店で出される料理でもある。しかし牛肉を食べる習慣は、「薬食い」と言われて江戸時代からあったものの、主に明治維新以来であり、既に130年以上の歴史があるものの「伝統」と呼べるかどうかは人により判断が分かれる。しかし、外国から見た場合、スキヤキや牛丼などの肉料理もまた日本独特であるから日本料理の範疇に入る。このように、食材にこだわらず、味付け・調理法が日本で発達したものをも「日本料理」と呼ぶのが一般的であろう。 ステーキ・ハンバーグのソースやサラダのドレッシングに大根おろしと醤油を使う場合もあれば、スパゲッティのソースとして明太子、たらこ、納豆、しそ、梅干しなどを使う場合もある。このような食事は、日本料理とはいわず「和風ステーキ」などと呼ばれるのが普通であり、この定義から言えば「恒常的に日本で食べられているもの」+「外国産の調理法」で「和風」という文字を冠するようだ。 もとは海外起源であったと考えられているものの日本国内で変転があったためにもはや日本の独特の料理になっているもの(例 : 焼きそば、しゃぶしゃぶ、カレーライス) 素材や料理法からはどちらとも判断がつけがたい上に、和食、洋食の両方の扱いを受けているようにも見えるもの(例 : 豚肉の生姜焼きとポークジンジャー) おしなべて、比較的交通や文化交流が高速化された近代、さらに国際化にともない電話・インターネット・電子メールなどによる情報伝達手段、航空機などによる交通輸送手段が超高速化して文化交流が盛んになった現代に至って、日本料理、ないし日本式食餌法まで含めた広義の日本料理と、異文化料理との間における相互への影響がはなはだしい。 スープ取り(いわゆるダシ取り)においては、永らくフランス料理や中華料理などでは、もっぱら動物性素材を用いて濃厚なスープを取ることがほとんどで、あるいはそうやって作ったソースないしペーストを溶かしてスープ作りをするのが常であり、イノシン酸やグルタミン酸などのアミノ酸類が醸しだす微妙な「うまみ」の判別は「味覚」としては認識されていなかった。ただ近年では1970年代以降、フランスの高名な三ツ星レストランや、中国の高級飯店のレストランの著名シェフらが、日本料理で頻用する魚類・海草類・真菌(きのこ)類・野菜類などから湯に煎じて取る微妙な「うまみ」ダシを使い、食材本来の味覚を引き立てようとする動きが盛んとなり、現代の両料理界にも技法のひとつとして定着しているものの、導入者が意識した「日本料理の技術のエッセンス」としてではなく、現在ではあくまで両界の調理人たちにとっては「フランス料理の技法」ないし「中国料理の技法」といった自国料理の手法の一部として定着してしまっている。 中国料理で言えば、元来中国料理にはラーメンという調理品目はなく、あくまでラーメンは日本で独自の発展を遂げた料理だが、近年ではこれが中国へ輸出されて中国の高級飯店の品書きにまで載っている。また、現在では中国の高級飯店で常設されている回転式の円形食卓も、元来は横浜の在日中国人調理家が和食と中食の折衷店で使えるものとして日本において発明した和・中兼式料理円卓であるが、現在では中国へ逆輸出されて「中国式」として定着している。 韓国料理においては、元来白米のご飯を主食にして副菜を供している上に日本料理とよく似た調理過程を経て作る焼物・煮物・炒め物も多く、また日韓併合時代に伝播したうどんやおでん、太巻き寿司風のおにぎり(キムバプ)、味噌汁、タクアンなどもいまだ食されている点において日本料理との共通点を持つ。また、中世に日本から伝播した唐辛子を用い、野菜・水産物・一部の畜産物などを漬ける各種キムチのうち、白菜のキムチについては、日本の白菜の漬物と似ていることもあり、日本国内でも恒常的に大量に販売されている。また、本来冷たい器にご飯を盛りその上に各種惣菜をのせて混ぜて食べる韓国料理「ビビンバ」について、近年に在日韓国人調理家と日本人調理家が共同で、岩から切り出した器を熱してその中にご飯と惣菜(通常の韓国料理には用いられない惣菜を載せるものも多い)を盛る「石焼ビビンバ」を考案したところ好評を博し、現在では韓国に逆輸出されて「トル(岩)ソ(焼き)ビビンパプ」と呼ばれて現地で定番化している。これなどは、広義の日本料理(韓風和食)であるにもかかわらず、当の韓国人も日本人も日本料理としてではなく韓国料理であると認識している。しかし「石焼湯葉鰹ビビンバ」など、もはや日本料理なのか韓国料理なのか明確に判別しかねるものも増えている。 寿司については、古代に東南アジア特にタイやメコン川流域で発明された魚肉と米を合えて発酵させる酢飯から考案されたもので、平安時代から江戸時代にかけて日本独自の酢飯文化として発展・定着した。近年、その「日本料理としての寿司」は世界各国で「日本料理」として認識されているものの、米国・中国・韓国・英国・ドバイ・ロシアなど、寿司に人気のある各地で独自の改変が施され、アボカド・畜肉・ハンバーグ・キャビアなど従来寿司ネタとして使われることなど予想もされなかった食材を使った寿司が日本に逆輸入されている。 その他、一般の日本人向けの商業商品においても、タイのスープ料理として名高い「トムヤム」スープ風味の「トムヤム茶漬けの素」、ベトナム麺を本来ベトナム人は食べない高菜を用いてうどん風に再現した「高菜フォー」、平壌冷麺を麺質を全く変えてご当地化した「盛岡冷麺」、牛肉の照り焼きを米で挟んだ「ライスバーガー」など、果たして日本料理なのか異国料理なのか判別に悩むものも多数存在する。 いずれにしても、他の料理と同じく「日本料理」も、古来の伝統保守の傾向とともに異国料理との混合や相互影響を受ける面を持ち、同時に日本食ブームに後押しされ他国の料理文化に対しても多くの影響を及ぼしている。 総じていえば、日本料理は近代化の洗礼を受けながら、自分で食材を採集し、食器を整えた前近代の食事事情の名残を今なお残しているといえよう。 一般的に米をはじめとする穀物、野菜、豆類、果物などの農作物、魚介類や海藻といった海産物、鳥類の肉などがよく使われる。大豆加工品が好まれ、獣肉の利用は比較的発達しておらず、乳製品をほとんど使わないといった特徴をもつ。特に、海産物を生食すること、海藻を好んで食べることは海外ではあまり見られず、日本料理の大きな特徴といえる。 調味は出汁を基本とし、塩味をつけるのには塩のほか、うま味を豊富に含んだ醤油、味噌などの大豆発酵調味料が基本的な調味料として用いられる。日本酒や米酢などの米発酵調味料も多用される。甘みには水飴・みりんが使われるが、現代では砂糖を使うことも多い。ナタネ油、ゴマ油などの植物油を少量使い、ラードなどの動物性油脂はほとんど使用されない。 総じて低脂肪、高塩分であるとされることが多い。野菜としても扱われる ネギは別として、香辛料やハーブの類は少量使われ、大量に用いられることはない。 彩りを出し、素材の味を楽しむために、味付け前の下処理に手間をかける。日本料理の料理長を『板前』という事から分かる通り、食材の切り方に凝る傾向がある。これは、平安時代の包丁式に由来し、珍しいものばかり食べる事によって権威を見せつけ、尚且つ、仏教の影響から味の美味いまずいを論じてはいけない、という考えからと、加熱調理は誰でも出来る、という考えから来たもので、『焼く』という意味の単語が由来とされる、フランス語で台所や料理法を意味する『キュイジーヌ』(cuisine)とは対照的である。焼き物の場合、下処理の済んだ食材に塩を振り、炭火で焼き上げるものが多い。煮物、蒸し物の場合、出汁を基本に味噌や醤油を用いて味付けが行われる事が多い。香辛料の類はあまり使われない。香味野菜を刻んだりすりおろしたりした物を好んで使用する(薬味もしくはかやくと呼ばれる)。 日本料理は素材に手を余り加えず、素材そのものの風味、よさを引き立たせる素朴な調理法が尊重される傾向が強い。これは濃厚な調味料を使い、素材の外見や生の風味が失われるぐらいに複雑に調理したフランス料理や中華料理と比較すると明白である。 日常的な食事の構成としては、ご飯(白米やその他の穀物を炊いたもの)、汁物、おかず3品(主菜1品と副菜2品)という組み合わせを取り、一汁三菜と言う。 これらを好みにより交互に食べる。 この際、口の中で味を混ぜる事も多い。御新香(おしんこ)のような塩気の強いものとご飯とをあわせて食べる。 そしてその後に味噌汁を啜る、などである。こうすることでそれぞれを単独で味わうより美味しい、とされる. 一方、懐石料理・会席料理のように改まった席では一品(あるいは一膳)ずつ順番に料理が供されるのが普通である。 西洋料理には「コース」という概念があり、何段階かに分けて異なる種類の料理(前菜、スープ、主菜など)を食べるが 日常の日本食ではそのような構成をとらないのが一般的である(日常食を提供する食堂・レストランも同様)。 また食器や食事室の統一性にも配慮が払われるなど、日本料理は料理そのものより、採集、雰囲気など、 食を巡る総合的な工夫が調理者側から一方的になされることが多い。 これも調理、接客、管理などの分業化が進んだフランス料理と比べると引き立つ特徴である。 盛付けの美しさは、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、季節や風情を盛り込むことも、調理の一つとされる。料理の盛り付けの作法は、次のとおり。 食器は、漆器、陶器、磁器など、多くの種類を併用する。器には多彩な絵付けが施され、盛り付けに工夫が凝らされる(後述)。特に陶器は造形の制限が緩やかで、濃い色の皿・角型の皿、花や果実の形を模した器など、伝統的な欧米の料理の食器とは大きく異なる。近隣国で陶磁器生産の歴史がある中国・韓国と比べても、丸皿を多用し伝統的な絵付けの陶磁器を用いる中華料理や、金属製の器や絵付けのない白磁の食器を主とする韓国料理に比べ異彩を放っている。 また、陶磁器の普及までは木椀を使用しており(九州では陶磁器の普及により木椀を用いる習慣がほとんど失われた一方、東北地方では近代にいたるまで木椀を多用する文化が残っていた。また社会階層により普及の時期は異なる)、漆器の多用はその名残であると言える。 家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のものを用いる習慣がある。 料理の記述の文献初出は、『日本書紀』で磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト、高橋氏の祖先)であり、景行天皇が亡き日本武尊を偲んで安房の浮宮へ行幸した際に鰹と蛤の膾を出した記述である。盤鹿六雁命は大膳職長に任じられたと言われ、後に料理の神として祭られるようになった。 米食は縄文時代からおこなわれていた。古くから煮物、焼き物、蒸し物は行われていたが、揚げ物は飛鳥時代ごろに朝鮮や中国から入ってきたと考えられる。また、中国からは仏教を通しても特殊な料理や茶が伝えられ、これはおもに寺院において独自の発展をみた。これが精進料理であり、精進料理の伝来とともに家畜や猿などの野獣を食べてはいけないという禁令が何回か出ている。 奈良時代には、中国文化の影響が料理や食習慣にも現れ、節供の行事の移入につれて晴れの日の料理が盛んになった。年中行事にはそれに相応しい宴会が催されたが、中国から伝わった料理法が日本の風土や産物と結び付き、やがて特有な日本風の料理に変化した。 平安時代には、中国の影響を受けながら料理はいっそう発展した。唐揚げや唐煮、唐菓子などの料理が登場し、中国風の納豆なども登場した。豆腐の伝来もこのころと想像されるが、はっきりしない。 公家の間では食礼式や料理の流派が発達していた。大饗(だいきょう/おおあえ)料理という言葉が出てきたのもこの頃である。しかし、現在の日本料理で用いられる技法はまだ出そろっていなかった。貴族の食膳にのぼる料理は、現代のように醤油で味付けされることもなく、出汁も用いられないなど、調理技術は未発達で、貴族達は食べる料理に自ら塩や酢などで調味をしていた。その上、野菜を下品な食べ物と見下して摂取せず、珍しい食べ物を食べる事で貴族達は自分達の権威を見せ付けていた。更に、仏教の影響で料理の美味いまずいを口にする事をタブー視していたため、栄養面から見るとかなり悪い食事をしていた。人物では、藤原山蔭が光孝天皇の命で新しい料理法(四条流包丁式)を編み出した。そのせいか、伝統ある日本料理店では神棚に「磐鹿六雁命」と「藤原山蔭」を祀っている所が多い。 鎌倉時代には、禅宗と共に喫茶の風習が広まった。禅宗の僧が食べていた精進料理が本格的に流入し、がんもどきなどの食品加工技術が伝わった。精進料理の影響により、大豆加工の技術や野菜料理の技法が大きく発達し、のちの日本料理の方向性を決定づけることになった。禅僧の修行の際の軽食を「懐石」と称していたのが後の懐石料理の語源である。また、栄西が中国から茶を持ち帰り、懐石と結びついて茶料理が生まれた。ご飯を食べるのに匙を使う習慣はすたれ、ご飯碗を手で持って食べるようになった。 室町時代に入ると宮中の料理は武家の間にも採り入れられ、食礼式が発達した。当時は小笠原流などの礼法が盛んな時代であり、料理の流派としては中納言山陰政朝を始祖とする四条流が興った。料理書『四条流包丁書』もこのころに書かれたとされる。一方、権威が落ちた貴族達は大饗料理を作る余裕が無くなり、大饗料理は有職料理に姿を変えた。また、足利家には大草流があり、この頃より食作法がやかましく言われるようになり、1人分の料理を膳の上に組むいわゆる「本膳の形式」による料理が形成された。一方、この儀礼的な料理に対して茶道から生まれた趣味的な料理が懐石料理であり、この二つが日本料理の主流を占めるようになった。 仏教の「食事の味を論じてはならない」という文言の解釈が変わり、禅寺では料理や食事も修行の一環とみなされるようになり精進料理が発達した。禅寺の食のタブーを克服するため調理技術が発達し、出汁の概念が生まれた。大豆の加工技術も禅寺から興ったものである。足利義政は窮屈な、接待での食事の息抜きとしてよく禅寺への用事がてらに食事をし、これが現在の日本料理の基となった、とされる。 江戸時代には、都市文化が繁栄し、天ぷら、麦湯などの屋台による町人の料理が発達した。にぎり寿司や蕎麦の専門料理店ができるのもこのころである。また、都市部を中心に発達したお留守居茶屋などの料亭の料理は、酒を飲みながら料理を食べる形式で本膳や懐石のように作法にあまりとらわれないのが特徴であり、これを会席料理と称した(現在最も多く行われているのはこの会席料理である)。砂糖の普及により、甘い和菓子が食べられるようになった。陶器、磁器を使い、凝った絵付けを施した食器が広く普及した。また薬食として牛肉など肉食もわずかに行なわれた。江戸時代中期には、輪違い大根に代表される「見立て」という飾り包丁の技法が発達した。また、この時代には黄身返し卵などの珍料理が生み出されている。 日本料理を完成せしめたのは江戸時代であり、当時の献立や料理書によればその料理の内容が豊かであったことが知られる(徳川家光の時代は奈良茶飯と沢庵漬けが町人の最高の御馳走という有様であった。江戸料理が発達するのは元禄年間以降である。)。江戸は政治の中心地であり、諸大名の参勤交代をはじめ広く地方の産物や料理法が持ち込まれた。しかし、湾内で採れる魚介類の新鮮な味は江戸前の名を生ずるほど優れていたし、近海で採れるマグロなどの刺身は献立に欠かせぬものとなった。また、タイは「めでたい」の語呂から姿焼きのまま膳に飾られる事が多く、きんとんや蒲鉾などの口取りを添えてみやげ物として持ち帰る風習が生まれた。これらの特色からそれまで料理の中心であった関西に対して、江戸に発達した料理は江戸料理とか関東料理などと呼ばれた。さらに、江戸時代から調味料としてしょう油が盛んに用いられるようになったが、関東では汁物や煮物にもしょう油を利用し、冷めても味を損じない濃い味付けが行われ、折り詰などの土産料理として発達した。これに対し関西では従来どおり塩を基本に薄味に調味された。 関東料理に対して、大阪や京都の料理は関西料理と呼ばれた。華やかな江戸文化に対して京都は伝統的な優雅さが特徴で、それは料理の上にも反映された。京都は寺院料理の影響をうけ、また海産物に乏しいことから野菜を使った料理に発展をみた。豆腐、湯葉などの細やかな味を生かすために薄味の料理法が発達した。また、干しダラや身欠ニシンなど保存食を上手に料理するのも特徴であった。一方、商業都市として発展をみた大阪は海に近く、魚介も豊かで地方の産物も集まるところから、「天下の台所」と謳われるなど、料理法も進歩を見せている。作法よりも食べて旨い料理に主点が置かれ、冷たくしてお土産に持ち帰る料理よりその場で食べる料理という現実的な考えが打ち出された。これが江戸に伝わり、「食切料理」という言葉で表現されるようになった。現在では関東でも関西でもその長所を取り合い、はっきりとした区別は無くなりつつある。 明治になると、西洋料理が入ってきて外国人と交渉のある社会階層で食べられるようになった。一方、庶民階層では西洋料理を元にした洋食が生み出され、発展してゆくこととなる。料理の流派は包丁式を残し衰退した。また神仏分離、廃仏毀釈により肉食が解禁され牛鍋などが登場した。それまで本式の料理とされていた本膳料理は衰退した。この時点で伝統的な日本料理の主要な業態は、会席料理を主とする料亭や高級旅館に移ったと言える。(寺院を主な対象とする精進料理・茶人を主な対象とする懐石料理は独自性を保って現在まで続いている)白菜や菠薐草の本格的な栽培もこのころである。都市部の家庭ではちゃぶ台が使われ、それまでの家父長制的な銘々膳の作法から、食事が家族だんらんの場として認識されるようになってくる。 関東大震災により江戸の料理の継承が絶え、本膳料理の流れを汲む格式ばった食事作法の伝統は薄まり、くつろいだ雰囲気が好まれるようになった。第二次世界大戦後、交通手段、マスコミの発達により日本料理における地域差は徐々に縮小するが、たぬきそばの用法が東西で異なる事に代表されるように、調味料の好み等も含め各地の地域差は根強く残っている。 詳しくは洋食を参照。明治時代以降、イギリス料理やフランス料理から派生したものだが、日本で改変され日本独特のものに変化している。カツ丼など特に日本化の進んだ一部の料理は和食に分類される場合もある。日本生まれの洋食はオムライスの様に今では世界中で食べられるように広まってきている。 醤油 だし(下記)と並んで日本料理でもっとも重要な位置を占める、日本独自の調味料。(韓国、中国の醤油とは製法も味も異なる) 水飴 甘味料として古代から用いられ、江戸時代までは最も重要な甘味料であった。砂糖が安価になった現代でも調理材料に使われている。 ワサビ 日本独自の香辛料。匂い消しのために、刺身や寿司に添えられるほか、蕎麦やうどん、茶漬けにも使われる。 生姜 ワサビ同様匂い消しに用いられる。調味料としてだけではなく、飾りに使ったり、漬物として食べられてもいる。 ネギ 薬味としては生のまま刻んで用いる。野菜としても大量に消費され、関西地方では青ネギが、関東地方では根深ネギが好まれる。 シソ 薬味としては生で使うが、てんぷらにすることもある。梅干作りに使う赤シソを細かくしたものは「ゆかり」と呼ばれ、ご飯などとともに食べられる 唐辛子 - 新大陸で発見され、大航海時代に日本に伝わる。多少の辛みをつけるのに使われる程度で、大量に使われることはない。日本特有の七味唐辛子として使われるのが一般的。 だし - 多くの料理に使われる基本的な調味料。乾燥昆布、干し椎茸、鰹節、煮干、等を水に浸したり、お湯で煮出して作る。 肉 - 明治以前は、被差別民やアイヌなどを除いて、一般に哺乳動物の肉を食べる習慣はなかったとされるが、猪肉などを薬として食べたり、山間部に住む人々が狩猟によって捕まえた動物を食べることはしばしばあった。また江戸時代まではウサギの肉がよく食べられていた。江戸時代後期にはももんじ屋が現れ、江戸のような大都市では動物の肉を食べることが行われた。全国的に食べられるようになったのは明治以降である。 胡椒 - 日本には中国、胡を経て伝来していて、辛味の調味料として現在よりも多用されていたが、トウガラシが伝来して以後、日本料理の調味料としての需要は減少した。 ウースターソース - たんにソースと呼ばれるとこれを指すことが多く、醤油と同じように日本の欠かせない調味料のひとつになっている。 日本では伝統的料理の分野を和食と言う。伝統的な食事形式で食する。本膳料理は身分の高い者によって食べられてきたが、会席料理は富裕な町人を客とした料亭で発達した。 本膳料理 -江戸時代には本式の日本料理とされた。室町時代から武家の饗応料理として発達した。明治以降衰退した。 精進料理 - 禅寺などの寺で、外来者を持てなすための料理法として発達した。僧が食べているわけではない。 会席料理 -宴席から発生した、酒を飲みながら味わう料理。料亭で出されるもので、懐石料理のようにコース式に供される。 郷土料理は日本の地方で古くから食べられてきた料理であり、村おこしに使われるご当地料理(ご当地ラーメンなど)とは異なる。 伝統的な食事形式で食さない種類の料理で成立年代が比較的古い、または調理形式が大部分が日本の調理法を使用する料理。日本の調理法を大部分において使用する場合は日本食という。また大衆から愛される大衆文化からできた料理を大衆料理と呼ばれることもある。 ご飯: 米を炊いた料理。他の国の米料理の多くは炒める・煮るなど野菜と同じ位置付けにある食材として用い、味付けしたものを食べることが多い。これに対して日本では米が粘りや甘味の多いジャポニカ米であるため、品種ごとに異なる米の味を尊重し、炊いた米を味付けせずに食べることが多い。明治期以降に、真っ白に精白することが全国的に普及したため、脚気が蔓延した。 日本料理ではあるが、和食または伝統的な調理方法から逸している料理。日本独自の料理法で作られるもの。 日本料理の中では成立年代は新しい料理である。 お好み焼き: 小麦粉をベースに作られるが、歴史的には新しいと思われる。醤油味の物もあるが、ウースターソース系のソースとマヨネーズで味付けしたものが多い。 直接火にあぶって食べる。日本料理の調理法では火を発生させる方法としては炭を使用する。特に備長炭で焼くと遠赤外線が発生して中までよく火が通る。直火焼き料理である。 溶岩焼き料理 - 石焼きの一種で、天然の溶岩石製の溶岩石板または溶岩石プレートを使用する場合は溶岩焼き。 冷し中華-ラーメンからさらに日本独特の冷やして食べるといった調理法で派生し、日本独自の進化をしている。 つけめん-ラーメンからさらに日本独特の汁と麺を分けて浸して食べるといった調理法で派生し、日本独自の進化をしている。 特にアメリカでの人気と評価は非常に高い。1983年には、ニューヨークの寿司店「初花(はつはな)」が、日本食レストランとしては初めてニューヨーク・タイムス紙のレストラン評で最高の4ッ星を獲得している[1]。また、レストランの格付けで有名なフランスのガイドブック「ミシュラン」が2005年に初めて発行したニューヨーク版には41件もの日本食レストランが掲載されているが、これは各国料理店として、イタリア料理、フランス料理に次ぐ件数である。 2007年に発刊された高級レストランガイド「ミシュラン」の東京版では、150軒の掲載店舗のうち、約6割が日本料理店であり、日本料理店も含めて、掲載されたすべての店舗に1つ以上の星が付された(ミシュランの掲載店舗の中には、星が付されない場合もあり、すべての店舗に星が付されたのは、ミシュランでは初めてのことである。)。また、150軒の掲載店舗に合計190以上の星が付され、それ自体も過去最高であった。 食のタブーを持つユダヤ人から「タブーに抵触しないか?」という声が上がったため、ユダヤ教のレビ(祭司)が視察・検査のため、日本にある八丁味噌の製造工場や、日本茶の農園や加工場などを訪れるようになった。ユダヤ教のレビのお墨付きが付いた食材(カシュルート)は製造過程に甲殻類が一切関わっていないため、甲殻類アレルギーの人にもありがたがられている。 食事を通じて健康などに働きかける正食(マクロビオティック)を通じて紹介された日本食が多く、ヨーロッパやアメリカの一部で正食が評価された地域では、日本では一般に使われていない特殊な料理や食材が使われている場合がある(味噌はパンにぬって食べる場合がある)。企業による大量生産品も一般的であるが、醤油、味噌、豆腐などは古来の製法で作られることも多く、日本の一般的なものよりも風味や栄養価で優れている場合もある。アメリカではたまりも一般的である。 寿司 - 果物や日本では使わない食材、調理法で構成された新しい寿司。名前からはどのようなものかを連想するのが非常に難しい。酢飯が使われない例も多い。 照り焼き−多くの場合、焼き方の一種のことではなく、醤油味を基本とした「テリヤキソースを使った付け焼きグリル料理」のことをテリヤキと称する カリフォルニアロール - 寿司がアメリカ合衆国で健康によい食品として流行したことで発明された。アボカドを具に使った裏巻きの太巻き寿司。日本に逆輸入された。この他にも調理人独自の料理として、スパイダーロールやダイナマイトロール、レインボーロールといった素材ではなく視覚的な名称を伴った様々な巻き寿司が出来ている。 鉄板焼き - 焼きごてさばきや玉ねぎ火山といった調理人の演出要素がふんだんに盛り込まれた鉄板焼き。一般のアメリカ人にとっては「Hibachi」と言う名称で典型的な日本料理として考えられている。ベニハナチェーンを展開しているロッキー青木が出演していたテレビ番組における演出的な鉄板焼き料理がその原点である。 ブームに乗って中国料理や韓国料理店から鞍替えするものが増えたため、正統な日本料理店に認証を与える制度「日本食レストラン推奨制度」を日本貿易振興機構(JETRO)がはじめた。[1] 海外において、日本食が広く知れ渡るにつれ、日本食レストランと称し、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストランが数多く見うけられるようになり(韓国人や中国人が経営していることが多い)、調理法から衛生面まで基準を設け、本物の「日本食」を提供するレストランを認定する制度をJETRO(ジェトロ/日本貿易振興機構)や農水省は設けた。イタリアやタイ等、国が認定するレストラン制度は他国にも存在する[2]。 |
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