展望とは?/ レイク
[ 689] 展望車 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E6%9C%9B%E8%BB%8A
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展望車(てんぼうしゃ)とは、鉄道車両の一種で、軌道上の風景を展望できる座席や大型の窓を特に設けた車両を指す。 日本国有鉄道における客車記号は「テ」であるが、電車や1980年代以降に新造・改造された客車の展望車では、この記号を付さない場合が多い。 類似する例としてトロッコ列車と呼ばれる種類の車両が存在する。純粋な観光路線などで、より開放的な展望を得る目的や、一種の特殊なアトラクションという性格をもって、側面が開放された構造の客車や無蓋貨車を改造した車両などで運行される。 日本における第二次世界大戦以前の展望車は、元々19世紀末期〜20世紀前半の北アメリカで長距離列車の最後尾に連結されていた展望車に範を採ったものである。 1880年代にアメリカの鉄道で車両間の連結部分に可動式の渡り板を渡し、蛇腹状の幌で覆った貫通路構造が考案された。この「べスティビュールカー(貫通式車両)」は、乗客が安全に車両間を往来できる利便性から、1890年代までに全米の鉄道に広く普及した。 車両間貫通路が整備された事で、寝台と喫煙室、供食設備を1両に収めた車両を何両か連結する列車の代わりに、独立したラウンジカー、食堂車などを備えた列車を運行する事が盛んになった。長距離を移動する際に一等旅客の憩いの場となるラウンジは、列車の最前部や最後部に設けられた。 1890年代から1920年代頃までのアメリカの展望車の形状は、日本の展望車とよく似ている。車両の一端、乗降用のデッキを少し広くした程のスペースが、景色を展望可能なオープンデッキとされた。ここには転落を防ぐための柵が取り付けられ、隣接する客室が展望室となっていた。この構造は日本の展望車でも踏襲されていた。 日本の展望車との違いは、21世紀初頭の日本の寝台特急に於けるロビーカーと同様、展望室が乗車した各等旅客のフリースペースとなっていた事である。展望車車内のうち展望室を除いた残りのスペースは、開放式寝台ないし個室寝台で構成される客室とされるか、軽食用の供食スペースに充てられた。オープンデッキ部分が気軽に利用されていたのも日本との相違点の一つで、椅子を置き、走行中にカードゲームなどをして楽しんでいる乗客の写真や、家族並んでの記念写真などが残されている。日本からの旅行客もその例外ではなく日本人の視察団の記念写真も存在する。無論、展望車を連結した列車は一等運賃や特別料金が要求されるプルマン寝台車で構成された優等列車が多く、利用に当たってははある程度の出費を必要としたが、それは一般旅行客の利用を妨げるものではなかった。なお一部の車両には密閉式の展望車も存在した。 またアメリカの鉄道には企業幹部や資産家が貸切使用する客車「プライベートカー」が多数存在したが、その中にも展望室を設けたものが存在する。古い文献や写真、記録映画などで、政治家の地方遊説の際に描かれる展望車両は、多くはこの種の車両である。 アメリカで展望車が大きく変化したのは1930年代の事である。この時期に流線型デザインの軽量な客車が開発され、優等列車向けに普及したが、それらの車両では滑らかな流線型を描く密閉式の展望車を設ける事が一つのスタンダードとなった。また、これらの展望車の発展系として1948年運行開始の「カリフォルニア・ゼファー号」などに連結された2階建て展望車「ビスタドームカー」を挙げることができる。こうした流線型の展望車の一部は、21世紀初頭でもカナダの大陸横断列車「カナディアン号」の展望車として運行されている。 展望ドーム車は編成の中間にも設けられた。前述のカリフォルニアゼファー号でも一部が2階建ての展望ドームとなった座席車が連結されたが、それとは別に車両全体が展望ドームとなった「スーパードーム」車も建造されている。ガラスドームのために重量が大きいのが特徴で、ミルウォーキー鉄道向けに建造された鋼製車は軽量構造にも関わらず、112トンもの重量を有した。 また、1950年代の後半にはアチソン・トピーカ・サンタフェ鉄道のシカゴ−ロサンゼルスを結ぶ「エル・キャピタン号」用に全車2階建ての編成が新造された。エルキャピタン号は全車座席車だったので、2階建て車両は座席車とラウンジ車、食堂車であり、寝台車や最後尾用の展望車は製造されなかった。これまでの全車2階建て車両が通勤用であったのに対し、この車両は展望を目的に建造されたというのが大きな違いである。この様式の車両はアムトラックの「スーパーライナー」に引き継がれ、寝台車も設けられた。スーパーライナーは西部の列車を中心に、アムトラックの長距離列車の主役として現在も運行を続けている。 前述の様にアメリカの展望車は日本の展望車にも大きな影響を与えているが、特に線路や車両の規格がアメリカのものと類似していた日本資本の南満州鉄道ではその傾向が強かった。 南満州鉄道の代表的な展望車としては、1930年代にあじあ号向けに製作されたテンイ8形が挙げられるが、これは当時アメリカで試作が進められた流線型の展望車を参考に製作されたもので、形態はまるきり本家アメリカ式の密閉式流線型である。この形式は21世紀初頭に於いても中国鉄道部に於いて若干数が現存しているといわれている。 フランスにも「オートラーユパノラミック」という単行運転のできるドーム展望室付きの流線型気動車が存在した。 このほか、現在のヨーロッパでは、風光明媚なアルプスやリビエラ海岸を走行する急行列車には、現在でもオブザベーションカーが連結されているが、これは窓を天井まで広げ展望を良くした一等車で、ドームカーの発展型といってよい。 日本の国鉄が1960年代以前に保有した正式な展望車は、東海道本線・山陽本線の特別急行列車に連結された。これらはすべて「乗り心地がよい」とされた3軸ボギー台車を装備し、後尾に柵を備えたオープンな展望デッキを設けていた。いずれも先行するアメリカの流儀に倣ったものである。民間メーカーでは1両も製造されず、国鉄工場で最高水準の技術をもって製作された。 この時代の日本における展望デッキは、主として駅での発車時及び見送り客に答礼し手を振るための「お立ち台」であり、乗客が走行中にデッキに出る事はほとんどなかった。 日本最初の展望車は、1908年に九州鉄道が発注した車両を国有化後の国鉄が引き継いだ、ブトク1形だとされる。 1927年から国鉄客車の車体は鋼製が標準となった。20m車体を持つ優等車両についてはペンシルバニア式3軸ボギー台車のTR73形が開発され、展望車についても1930年以降にこれを装備した鋼製車が製作される事になる。 このうちスイテ37010形の車内は「桃山式」と呼ばれた純和風の内装であった。国際列車であった戦前の特急「富士」にあっては事に外国人観光客に好評を博したとされるが、戦後復活した際には「まるで霊柩車の様で不気味」・「仏壇じみて縁起が悪い」と乗客の不評を買い、予備車に回された経緯を持っている。 太平洋戦争末期には、特急列車の廃止に伴い、展望車を含む優等車両は戦災を避けて地方に疎開措置が取られた。 1945年の日本の敗戦に伴い、温存されていた優等車両のほとんどは進駐軍に接収された。また戦後の国鉄は正式な「展望車」は新製していない。 1955年には1等寝台の廃止(二等寝台への全車格下げ)により、国鉄の一等車は東海道本線特急に連結される展望車のみとなった。 1960年に東海道線昼行特急の電車化により展望車の定期運用はなくなった。展望車各車は専ら団体用となり、同時に2等級制への移行によって「マイテ」から「マロテ」へと名称が変更された。これらは1964年までに台枠を流用したオシ17形に改造され、或いは用途廃止によって廃車となるなどして全車が姿を消した。 その後、保存車としては東京都青梅市の青梅鉄道公園のマイテ39 11、大阪府大阪市港区の交通科学博物館のマイテ49 2が残存していた。マイテ49 2については1987年に改修のうえ車籍が復活し、西日本旅客鉄道(JR西日本)が引き継いだ。同社では、山口線の「SLやまぐち号」をはじめとするイベント列車において限定的に運用されている。またマイテ39 11は、損傷が激しくなったためJR東日本大井工場(現・東京総合車両センター)に移送されて復元が試みられたものの、高度な細工を凝らした桃山式の内装はもはや修復できる技術が残っておらず、実現には至らなかった。やむなく装飾などを取り払われた上で、東京総合車両センターに保管されていた。その後、2007年に開館したさいたま市大宮区の鉄道博物館において保存されることとなり、現時点で可能な限りの内装の復元が施された上で展示されている。 なお、厳密な展望車には該当しないが、20系客車の編成端部に連結することを前提としたナハフ20形(のち改造でナハネフ20形)・ナハネフ22形には折りたたみ椅子を設けた展望スペースが設置されており、ある程度展望車を意識した造りになっていたともいえる。ただし、これらの車両は運用上編成の向きを変えることは行われていなかったので、後部から展望を楽しめたのは片道に限られていた。 元々一等車の需要は限られたもので、1950年代初頭には密閉式の展望車新造が計画された事もあったが、試作的改造(スハ32・オハ35系改造のスヤ51形)のみで実現せず、試作車も国鉄内部の巡察などに用いられたのみに終わった。 1980年代に至り、「ジョイフルトレイン」の先駆けとなった「サロンエクスプレス東京」や「サロンカーなにわ」には、改造車ではあるが編成両端の車両に展望室を設けた車両が連結された。但しこれらはガラス張りで、特に前者は構造的にも伝統的な国鉄展望車よりも名鉄7000系パノラマカーに端を発する展望ロマンスカーの客車版といった雰囲気であった。これの類似車両は「スーパーエクスプレスレインボー」、「ユーロライナー」、「サザンクロス」など多岐に渡る。 伝統的な開放式展望車としては、1982年に西武鉄道からの譲受電車であるサハ1501形1515号を改造した大井川鉄道のスイテ82形が登場した。国鉄でも1983年に名古屋車両区にて改造されたお座敷客車の両端がタネ車の12系の構造体を流用しつつ開放式展望室を設けた。さらに1987年には50系から「アイランドエクスプレス四国」が、1988年には同じく50系から「ノスタルジックビュートレイン」が開放室展望車を製造して改造されている。また同年には「やまぐち」向け12系の1両が開放式展望車に改造されている。 しかし、これらはスイテ82形を除いてすべて形式用途号は展望車の「テ」ではなく、通常緩急車の「フ」を名乗っており、「テ」の新形式は事実上途絶えたかと思われた。ところが意外なアプローチから1998年にJR北海道にて改造車ながら新形式が登場する。→トロッコ列車を参照。 近年は「ばんえつ物語」編成のように、中間の車両をハイデッカータイプとして良好な眺望を確保した大型窓を設け、乗車定員を0人として指定席券を発券しない例も現れている。なお、このハイデッカータイプの展望車両は客車・電車・気動車を問わずトレンドとなっており、用途形式上もロビーカーに準ずる「ハ」を名乗るケースが少なくない。 一方、新造車両では、上野〜札幌間の寝台特急「カシオペア」用車両E26系に車端部に本格的な展望部を有する「カハフE26形」が投入され、好評を博している。なお、この車両の名称は「ラウンジカー」を名乗っている。 また1980年代より「トロッコ列車」と呼ばれる素朴な形態の展望車両も運行されるようになっている。運行当初は貨車を改装したものが用いられたが、安全上の問題から貨車改造が認められにくくなり、以後は12系などの通常型客車から側面ガラス窓・外板の一部を取り払った車両が投入されるようになった。 なお、かつての特別急行列車「つばめ」・「はと」などでは三角線と呼ばれる配線を利用して編成ごと方向転換をしていたが、近年のそれは編成の両端に展望車を設ける方法が一般的である。或いはSL列車の場合は発着駅近辺にSLの転車台が残っているため、それを使って展望車のみ方転させる場合もある。 太平洋戦争以前の一部地域の路面電車には、窓ガラスをなくして眺望を確保し、側面腰板を金網張りとして風通しを良くした「納涼電車」が存在した。暑い時期に乗客の涼を取る事を主眼としたもので、江ノ島電鉄などで1930年代まで運行されていた。これも一種の展望車と言える。神戸電鉄などには、高速電車でも同様な納涼車仕様の車両があった。多くは太平洋戦争中に輸送力確保のため、通常型電車に改造されて消滅した。 第二次世界大戦以前の日本の電車は、一般に運転台周りは開放的な構造であったが、その中でも1938年に南海電気鉄道の前身である南海鉄道が製造した貴賓車「ク1900号」は、流線型の前面形状と広い窓を備え、車内にはソファーを備えた展望構造であった。これは皇族などの高野山への参詣に於ける利用を主眼としたものであるが、第二次世界大戦後は一般客向けの特急「こうや」に特別車として連結され、1961年まで運用されたが、同年の特急撤退後は通常形態の通勤形電車に改造されてしまった。 国鉄の場合、東海道本線特別急行列車「はと」・「つばめ」に151系を充当する際に、従前の展望車に比する車両として大阪方先頭車に「クロ151形車両」を製造した。この車両を利用する乗客層として客車時代の一等車の乗客が利用する事を前提としていたため、「パーラーカー」の愛称と特別料金を要し、当時の時刻表による表記では「展望車」が当てられた。しかし、東海道新幹線開業に伴い山陽本線特急群に転じて以降、一等車(後のグリーン車)利用者の絶対的な減少に伴い開放室の普通席への改造(クロハ181形への改造)が行われ、山陽本線からの撤退・関東地区への転属に伴い1973年までに完全に普通車化された。なお、東海道本線から直接上越線など関東地区の路線に転属したものは当初から完全な普通車に改造されており、パーラーカーとして運用されたものはない。 運転台を屋根上に上げ、客席を車両最前面に置いて展望を確保する構造の鉄道車両は、古い例では1930年代にフランスで製作された気動車「ブガッティ・ガソリンカー」などが存在する。 国鉄・JRに於けるセッテベロ形の展望電車は、国鉄末期の1987年に165系をジョイフルトレインとして改造した「パノラマエクスプレスアルプス」が最初である。なおこの車両は2001年に富士急行に譲渡され、形式を2000形に変更の上「フジサン特急」として運用している。 セッテベロ形構造の車両は、車体強度確保や運転士の乗降、衝突対策などクリアすべき制約が多く、扱いにくい事もあり、日本では限られた鉄道で用いられたのみに終わった。 これに代わって高床式(ハイデッカー)の前面展望車両が1980年代以降に出現している。発想は観光バスなどと共通したもので、運転台を通常の床面に置き、直後の客席床面を大きく嵩上げした上で、車両前面の窓ガラス面積を大きく取り、運転台の頭越しに前面眺望を確保する手法である。多くの場合は客室側面窓も大きく作られ、全方向への眺望確保を図っている。 セッテベロ形よりも構造が簡単で、運用が容易である事から、電車・気動車に於ける前面展望車両の一つの主流となっている。 その後は伊豆急行の2100系「リゾート21」や国鉄のキハ59形「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」など、リゾート列車への採用例が多い。JR西日本のエーデル形気動車シリーズもこの形式。セッテベロ形展望車の代表格である名鉄パノラマカーの後継車1000系「パノラマスーパー」もハイデッカー形で製造されている。 2階建車両は、特に2階席からの眺望に優れる事から、アメリカの「ビスタドームカー」などの様に「眺望車」・「眺望席」という位置付けでアピールされる事がある。 日本の場合、近畿日本鉄道のビスタカーのうち、特急専用車両とされるものについては、2階席を眺望席として位置付けており、発券上指定が出来る事から特別枠ではあるものの料金制度上の特別席ではない。 "制度上の特別席"という点では、瀬戸大橋線の快速列車「マリンライナー」に使用されるJR四国の5100形車両は2階席及び運転席寄り座席をグリーン席とし、1階席及び連結面を普通席として「眺望の良い特別車両」として使用されている。これは運行当初より使用していたJR西日本所属の213系のグリーン車「クロ212形車両」の「瀬戸大橋での眺望を楽しむ」という点を踏襲したものである。 しかし必ずしも「2階建車両=観光列車に充当される車両」ではないため、例えばJR東日本の215系や東京近郊運行電車の中距離電車に連結される二階建てのグリーン車では、展望の望めない1階席が存在するなど、必ずしも眺望が良い様な座席配置は行っていない。 北海道炭礦鉄道の客車・日本鉄道の客車・官設鉄道の客車・関西鉄道の客車・山陽鉄道の客車・九州鉄道の客車・或る列車 この「展望車」は鉄道に関連した書きかけの項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。 |
[ 690] 空中庭園展望台
[引用サイト] http://www.skybldg.co.jp/garden/index.html
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内容も感動的でスクリーンに引き込まれましたが、それ以上に私が興味を持ったのは主人公のおてんばな12歳の少女、ライラちゃんのファッションです♪冒険ものでしたが、ライラちゃんのファッションがとても可愛くてオシャレで凝っているのです!!私もライラちゃんに影響され、映画を見た後アウトレットに行き、たくさん服を買ってしまいました(^_^;)でも気分転換の出来た良い休日でした(ё) 展望台で一人の女性のお客様とお話をした時のことです。そのお客様は最近、関西ローカルから全国区になった某人気若手芸人さんの大ファンなようで、遠方からはるばるお越し下さったのも、その芸人さんが以前展望台でロケをしているのをテレビで観たからということでした。 今やテレビで観ない日はない程売れっ子になってしまいましたが、関西のローカル番組で観てきた方が長い(そしていまだにロケなどで街中でよく見かける)芸人さんなだけに、お客様の熱狂ぶりにうっすらとカルチャーショックを覚えたのでした。最後に『関西でもキャーキャー言われてるんでしょ!?』と訊かれ、『いやぁ、、、安心感があります。』と望まれない返答をとっさにしてしまいました(‥)Φ 一番泣いて困ったのは『陰日なたに咲く』という映画で思ってた以上に感動し、上映中泣きっぱなしで鼻と目が痛くなりましたが、かなり良かったです。原作者の劇団ひとりを見直しました。 その他には『天使なんかじゃない』と『ご近所物語』の完全版コミックを購入し、これも読むたびに泣いているので、結果的にほぼ毎日泣いていることになります。。。そろそろ目が痛くて腫れが気になりますが、おかげで毎日すっきり新鮮な気持ちで朝を迎えています。 今日は朝から太陽が元気良く出ていますね!全国的にも明日位から寒さもゆるんでくるみたいで、もぅすぐ春ですね♪暖かくなってくると困るのが花粉です(>_<)私も毎年花粉には悩まされているのですが、ここ数年の間に様々な花粉対策のグッツが出ており、昔に比べるとマシになった気がします…(^0^)♪ 今週は大阪も寒くて10℃を下回る日が連日です。鼻水ズルズルの手はひび割れをして最悪です(泣き)こんな日は家でぬくぬくと過ごしていたいですね(^O^)だけど、私は草野球をしてまして、何故かこんなに寒くて外に行きたくないと思っていても、野球だけは、やりたいと思ってしまうんですよね。そんな矛盾ってありますよね(笑) 関西では、一家に一台はあると言われるタコ焼き器(’s’)☆一人暮らしの私の家にもなぜか有ります。先日は、自宅で友人を招いてタコ焼きパーティーをしました!!始めは、スタンダードに「タコ・ネギ・天かす・紅しょうが・こんにゃく」で、変わりダネにはソーセージやキムチ、チーズ、もちなど用意して楽しくやっていました。そのうちヒートアップすると冷蔵庫に眠っていた食材をひっぱり出してきて実験が始まりました!!パスタのイカスミソースを入れてまっ黒タコ焼き。トマト、アボガド、チーズを入れて、クレイジーソルトやバジルソースをかけてイタリアンに。シメのデザート(?)には、チョコを入れて焼き、ソースの代わりにママレードジャムを・・・これ全部成功でした(^0^)♪一度ご家庭でお試しになる事をオススメします!!タコ焼きは、たくさん集まってワイワイつっつくのが楽しいですネ。 私は、自転車で外に出たのは良いものの、夜には雪が凍っていて滑ってこけてしまいました。もうすぐバレンタインdayなので、チョコを買っていたのですが、おもいっきり踏んづけてしまい、目の前には同年代の男の子がいて心配され、恥ずかしい限りでした。 バレンタインといっても好きな人にチョコを渡すだけではなく、友達やいつもお世話になっている方にあげたり、自分自身のご褒美にものすごく高級なチョコを買う方もいるようですネ☆☆ 私は今年チョコをあげる予定はありませんでしたが、バレンタインが近づくにつれて、父からの『チョコが欲しい!!』アピールがすごく、毎日のように満面の笑顔で話し掛けてこようとします↑↑だから私はそんなおちゃめな父にチョコレートをあげようと思っています(о・ё・о) さて、バレンタインDAYまで一週間をきりましたが、女子のみなさまはチョコの準備はされましたか!?私は昨日梅田Loftに行って来ました。バレンタインコーナーは沢山の女の子であふれており、その熱気に圧倒されてしまいました。種類も豊富で目移りしてしまい散々迷ってやっと購入する事が出来ました♪ まだ私も若いぞアピールとしてがっつりピンクの振袖でッッッ!!!張り切って行ったものの、大阪のバリバリ河内っ子の私たちには神戸のオシャレさにテンション↑↑上がってしまい、ランチしてケーキ食べてはしゃぎ回っていたら結局参拝時間5分でした。。。ξ 私は先日、大阪府池田市にある『インスタントラーメン発明館』へ行って来ました。チキンラーメンの歴史や、作り方などを学ぶ事ができ、最後には自分だけのマイカップヌードルが作れるコーナーがあります。 |
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