富士とは?/ レイク
[ 261] 富士 (列車) - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
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富士(ふじ)とは、九州旅客鉄道(JR九州)が東京駅〜大分駅間を東海道本線・山陽本線・日豊本線経由で運行する寝台特急列車(ブルートレイン)。 ※:臨時停車。(但し、品川駅の場合、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。品川止まりになるケースが殆ど。その場合、小田原〜品川は東海道貨物線経由での運転となり、横浜駅は通らず、小田原に臨時停車する。) 1912年(明治45年)6月 東海道本線・山陽本線の東京〜下関駅間に、一等・二等車のみで編成された日本初の特別急行列車、1・2列車が運行開始され最後尾には一等展望車を連結。 「富士」は戦前の日本を代表する列車となった。この当時は1・2列車は一等・二等車のみ、そして特急3・4列車は三等車のみの編成であった。最後尾の一等展望車には同年11月からテールマークが取り付けられている。またこの当時は、「富士」の終着駅であった下関から当時日本領であった朝鮮の釜山へ、国鉄(当時の呼称は鉄道省)による鉄道連絡船の関釜航路が運航されており、そこから先の鉄道・航路と連絡し、朝鮮、満州、中国、さらにはシベリア鉄道を経由してパリ(フランス)、ロンドン(イギリス)に至るまでの国際連絡運輸が行われていた。「富士」はその一翼を担う事にもなるため、当時の日本における威信・サービス・設備の最高水準が盛り込まれていたのである。例えば、展望車には「桃山式」と呼ばれる装飾が施されてソファー・書棚が置かれていたり、他の当時の多くの列車の食堂車が「和食堂車」であったのに対して、「富士」は高貴な「洋食堂車」を連結したことなどがその例といえる。 列車名の由来は、日本を代表する山「富士山」からとされるが、一般からの公募によって決められた。この時の公募については列車愛称の項目も参照。 1942年(昭和17年)11月 関門トンネル開通に伴い、「富士」は運行区間を東京駅〜長崎駅間に拡大。また上海からの航路が到着する日には、下り列車のみそれとの連絡を図るため、港に隣接した長崎港駅を発着駅にしていた。 戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。例えば、「こだま」の名称公募の際も「富士」は将来別途使用の計画があるという理由で投票対象から除外された。結局、1961年10月のダイヤ改正で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが、機会を逸したとの意見も少なからずあった。 1964年(昭和39年)以降、「富士」は日豊本線の寝台特急となり、それ以前から既に運行されていた東京〜西鹿児島間急行列車「高千穂」の上位格の列車となった。また、宮崎県からは初の東京直通特急となった。 東京〜門司駅間は、東京駅〜熊本駅間急行31・32列車との併結。大分県・宮崎県からは初の東京直通列車でもあった。 この時から日本最長距離を走る列車となり、全区間走破には31時間28分を要した。しかし東京・大阪から鹿児島へは鹿児島本線経由が一般的であったため、同列車を全区間乗り通す客はそれほどいなかったといわれている。 食堂車は増備しない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中駅折り返しとすることで東京に戻る日を一日早めることとし、「あさかぜ」への充当が可能となった。 2004年(平成16年)2月 九州新幹線開業に伴い西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称するのを記念し、東京(品川)〜西鹿児島駅間を下り列車のみ団体専用列車『懐かしの富士号』として復活運転。なお、通常通りのダイヤで定期列車も運行されていた。 |
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