八雲とは?/ レイク
[ 1366] 小泉八雲 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%AB%E9%9B%B2
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国籍を取得する前の旧名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)である。一般的に知られているラフカディオは、かれのミドルネームである。ファーストネームはアイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んでいるが、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」をローマ字読みして「ヘルン」と表記したのが広まり、当人も「ヘルン」と呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。なお名前の「八雲」は、一時期当人が島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなむとされる。 16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写らないポーズをとっている。 イザベラ・バード、アーネスト・フェノロサ、モラエス、ブルーノ・タウト、ローレンス・ヴァン・デル・ポスト( 『 戦場のメリークリスマス 』参照 )、アンドレ・マルロー等とならび、著名な「日本紹介者」の一人であり、日本人にとっても、祖国の文化を顧る(かえりみる)際の、重要な便(よすが)となっている。若き日の三島由紀夫の愛読書のひとつであり、川端康成との書簡のなかで、しばしば、嬉々として引用している。 1850年6月27日、誕生。父はチャールス・ブッシュ・ハーン、母はローザ・カシマティ。生地ギリシア・レフカダ島からラフカディオというミドルネームを付けられた。 父はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国(現・アイルランド)出身でプロテスタントアングロ・アイリッシュである。軍医のイギリス軍少佐としてギリシャ王国・イオニア群島レフカダ島(Lefkada)の町リュカディアに駐在中、地元のキテイラ島の裕福なギリシア人名士の娘であるローザ・カシマティと結婚。 1854年、父が西インドに赴任し一人となった母は精神を病みギリシアのセリゴ島へ帰国。4歳のハーンはサラ・ブレナン大叔母(家はレインスター・スクェアー、アッパー・レッソン・ストリート交差点)に厳格なカトリック文化のなかで育てられた。 1865年、16歳のとき学校で遊んでいる最中に左目に怪我をし視力がなくなる(以後左を向いた写真ポーズをとる)。 1869年、20歳のときにリバプールからアメリカ合衆国のニューヨークへ移民船で渡り、シンシナティに行く。 1882年、アイテム社退社、タイムズ・デモクラット社の文芸部長になる。この時期の彼の主な記事はニューオリンズのクレオール文化、ブードゥー教など 1890年、ハーバー・マガジンの通信員としてニューヨークからカナダのバンクーバーに立ち寄り4月4日横浜港に着く。7月、アメリカで知り合った服部一三(この当時は文部省普通学務局長)の斡旋で、島根県松江尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられ、8月30日に松江到着。 |
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