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伊賀上野とは?/ レイク

[ 775] 伊賀市 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B3%80%E5%B8%82

伊賀市は、2004年(平成16年)11月1日に上野市、阿山郡伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村、名賀郡青山町の6市町村が合併(新設合併)して誕生した市である。 京都・奈良や伊勢を結ぶ大和街道・伊賀街道・初瀬街道を有し、古来より都(飛鳥、奈良、京都など)に隣接する地域として、また、交通の要衝として、江戸時代には藤堂家の城下町や伊勢神宮への参宮者の宿場町として栄えてきており、地理的・歴史的背景から京・大和文化の影響を強く受けながらも独自の文化を醸成している。歴史資産を早くから観光資源化することに成功したため、伊賀忍者の里、松尾芭蕉生誕の地として知られるようになり、俗に伊賀上野とも呼ばれる。昭和初期に再築された上野城や忍者屋敷、芭蕉翁生家、鍵屋の辻、だんじり会館などの観光名所を有する。また、市街地は戦災による破壊を免れ、小京都のひとつに数えられる。近年は郊外の複数の温泉施設や豊かな自然環境の中で農業体験やキャンプ等ができる伊賀の里モクモク手作りファームも人気を集めている。大阪と名古屋の中間に位置し、市の中心部まで双方から約1時間30分と比較的近いことから、大阪や名古屋方面からの観光客が多い。
三重県の北西部に位置し、地形は北東部を鈴鹿山系、南西部は大和高原、南東部を布引山系に囲まれた盆地(伊賀盆地)を形成しており、低地・台地は少なく、丘陵地が多くなっている。木津川の上流域であり、滋賀県や奈良県、京都府に接することから、三重県の中でも名張市と共に近畿地方(関西地方)として扱われる場合がある。
伊賀市成立以前の年表は、伊賀市の新設合併に関するもののみ記載[1]。それ以外の構成旧市町村ごとの歴史については、旧上野市、阿山郡伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村、名賀郡青山町、またはこれらの市町村に編入された町村の記事を、近代史以前の歴史は伊賀国を参照。
1990年(平成2年)に策定された伊賀創世計画に「伊賀市を目標とする」の文言が登場するなど、平成の大合併の流れの前より、伊賀市の名称が先行していた。
市の名称の決定に当たっては、名張市を含めた市の名称として全国公募を行い、その結果を踏まえて伊賀市と決定している。(全国公募の結果は、1位「伊賀市」、2位「伊賀上野市」、3位「いが市」。)[3]。名張市は、住民投票の結果を踏まえて、合併構想から離脱することになったが、離脱後の法定合併協議会においても、市の名称を伊賀市と決定することとなった。この決定に対して、「伊賀全体の合併で無いから、伊賀市の名称はおかしい」「知名度の高い伊賀上野という地名にするべきだ」との意見があり、旧上野市議会の一部で、市の名称を「伊賀上野市」とするべきとの意見があった。また、住民による署名運動にまで発展している[4][5]。
平成の大合併において、市と町村の合併した組み合わせで、町名が市名となったケースは少ないが[6]、これは元々伊賀町が僭称地名であったと見る向きが強い。
合併後の市の公共施設の名称については、「伊賀」の名称を冠につけると混同するケースがあるため、旧伊賀町の施設については「いがまち」という冠がついているものが多い。
上野市は、県内で市制を施行した6番目の市であり、昭和の大合併時に三重県内に存在した市で、合併後の名称が変わった唯一の市である[7]。平成の大合併以前に県内で存在した市が初めて合併したケースであったが、自治体名が変更となったため、地方公共団体コードは1番最後の市となってしまった。よって、県の統計資料等では、市では一番最後に出てくる。
「上野の地名を残して欲しい」との要望が多かったことから、旧上野市の市街地エリアでは「上野」の冠が着いた町名が残っている。
製造業をはじめとする工場が多いため、総人口に対する外国人登録者数の割合は高い。国籍としては、ブラジル・ペルー・中国・韓国が多い[9]。
私たち市民は、次の6つの原則により自治を進め、“ひとが輝く 地域が輝く”伊賀市のまちづくりの実現を目指し、この憲章を定めます。
市の独自のコミュニティ政策を進めるべく、市の憲法とも位置づけられている自治基本条例の制定に向けた検討がなされ、2004年12月24日、公布・施行された。全部で58条からなり、特に第4章の住民自治の仕組みについて規定する章は、住民自治協議会(設置、権能、地域まちづくり計画等)、住民自治地区連合会など、狭域自治を進めるための仕組みについて比較的詳細に規定している全国的にも珍しい条例である。
毎年4月から5月にかけて、忍者の古里であることをPRするため、伊賀上野忍者フェスタが開催されている。期間中は、市職員等が忍者服をまとい、市の窓口業務にあたるなど、PRに努めている[10]
旧上野市が、忍者の動きと精神を取り入れた独自の健康体操を作成したご当地体操である。市の健康事業推進のために活用した。伊賀市合併後も引き継がれ、市のイベント等で活用されている。[11]
同市議会は2007年(平成19年)2月に「議会の役割と責務」を具体化する伊賀市議会基本条例を制定、全国の市区町村議会では初となる「行政の議員に対する反問権付与」(逆質問権)を規定するなど注目を集め全国議会からの視察が相次いでいる。
2007年4月、伊賀市が伊賀流忍者発祥の地であることをアピールすることを目的に、市長や市議らが忍者服に身を包み審議を行う忍者議会を開催している。
地域では伊賀弁という方言が使用されている。 名阪国道の上野東インターチェンジから市街地へ向かうところには、「忍者の里いがうえの ようおこし」という伊賀弁での看板がある。 (市街地から上野東インターチェンジへの看板は「またきてだーこ」(「また来て頂戴」という意味)になっている。)
町村制施行時の町村単位を区域として、「××地区」と呼ばれている。行政側が概ね地区単位に「地区市民センター」を整備しており、住民自治協議会という組織が組織されている[12]。現在、住居表示上は存在しない地区も多い。旧町村の範囲を基本としているが、大規模団地造成等のため地区割が変更されているケースも一部存在する。
地域的に、大阪の商業圏の影響が大きい。特に名阪国道の物流利便性を受け、名阪国道沿いへの工場立地等の増加している。 市では、農業を基幹産業として位置づけているが、農業就業者の高齢化・後継者や担い手の不足・採算性の悪化等により、競争力のある産業として維持することが難しい状況となっている。サービス業を中心に就業者割合が高まっており、観光関連産業の活性化が望まれている。
古くは都市銀行も存在したが、銀行は地方銀行、信用金庫のみである。なお、地域的に、近畿地方に本店を置く地方銀行の支店も存在する。
伊賀市合併後は隣接する滋賀県甲賀市との交流を深めており、両市が忍者のふるさとであることから、2007年3月から「伊賀甲賀・忍者の里平成の野寄り合い」(伊賀市・甲賀市広域連携推進委員会主催)という忍術対決のイベントを開催している。この対決では負けた市は勝った市のPRポスターを1年間掲示することになるというユニークな勝負で過去二度は両市の市長も競技に参加している。2007年3月の対決では伊賀市、2007年11月の対決では甲賀市が勝利している。[13]。
JR関西本線と伊賀鉄道伊賀線は単線だが、市域の南部には近鉄大阪線が走っており、その沿線には大阪方面への通勤者向けに開発された住宅地がある。また、上野市駅前の上野産業会館から大阪(梅田・新大阪)、名古屋(名鉄バスセンター)、天理へのバス路線があり、それぞれへ約1時間30分で到達できる。
国道25号が東西の名阪自動車道と直結しているため、旧上野市街地からは鉄道よりは高速道路の利用の方が利便性が高い。このことが経済の発展に微妙な影響を与えている。また、伊賀鉄道伊賀線は近鉄伊賀線時代に再三、廃止または管理移行に関する提案・協議が行われていた。
名張市からつながる国道165号を以って、旧青山町から津市へと移動することができる。この際、青山峠を超える必要があるが、秋から冬にかけては濃霧におおわれる日が多く、また路面が凍結することもあるため時間帯によっては注意が必要となる。青山町区間は片側一車線でありながら、林業等に利用されるトラックが登坂の際徐行することも多いため、国道165号のボトルネックとなっている。
在阪広域民放テレビ局4局の電波が直接受信可能な地域も多く、ケーブルテレビによる配信も行われており、大阪・奈良方面との繋がりが深いこともあって、本来の放送エリアである在名広域民放テレビ局(UHFが主)よりも在阪テレビ局をメインに視聴している世帯も多い。なお、NHKについても多くの地域で大阪・名古屋両地方局の放送が視聴できる。
地上波デジタル放送は、総務省の指導で在阪局の伊賀方面の出力が抑えられたことから、在名・県域テレビの伊賀・名張中継局によるサービスが主となる。これに対しては、主に大阪・奈良方面との関係が深い視聴者から『繋がりの深い地域の情報が得られなくなる』との批判の声もある。
携帯電話は東海地方の最西エリア。このため、auに再編する前は、伊賀上野のショップまで出向く関西のIDO(日本移動通信)ユーザーも少なからず存在した。
戦災による被害をほとんど受けなかったため名所旧跡は多い。ただし、天正伊賀の乱による徹底的な破壊により、それ以前の建物等は少ない。
東部に広がる山地はドライブや別荘地などに使われ、関西地域の避暑地としての評価が高い。室生赤目青山国定公園の一角を占める地域では雄大な山岳の自然や植物相を見ることができる。
肉牛である伊賀牛は近隣の松阪牛ほどの知名度はないものの、地元の人々の人気は高い。品質にも遜色がないことから、大都市でも評価が上がっている、脂身の過剰でない赤身肉の評価が霜降り肉より高いようである。伊賀牛は特に伊賀市・名張市で大量に消費されており、周辺の人々の祝い・もてなしの皿を飾るための重要な品目となっている。
組紐は高座を組んで絹糸の端に錘をくくりつけ、その重みを利用して組みつつ適時竹べらで打ち付けて編みこみを強くしていき、装飾のついた一本の紐にくみ上げていく工芸品である。着物の帯をさらに飾るようなものとして、和装には欠かせない小物であるが、職人の高齢化や内職の衰退などにより存続を危ぶむ声も聞かれるようになって久しい。
上野市・青山町は、伊賀市成立により市町村名としては消滅したが、それぞれ駅名としては存続している。(詳細は上野市駅・青山町駅の項を参照。)
伊賀市(旧上野市)では、在日コリアンの一部を対象に住民税減額措置が行われていた。この措置は、昭和30年代から40年代にかけ、旧上野市(現伊賀市)と地元の在日本大韓民国民団(民団)や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との交渉で始まったとみられ、納付額を半減するなどしていたが[14]、2007年度から廃止している。市の見解によれば、市の条例の減免規定にある、「特別の理由があるもの」を根拠に減額していたが、多くの苦情が市役所に寄せられた[15]。
^ 地名研究家の楠原佑介は、著書で「伊賀市」を僭称市名として批判しているほか、片岡正人(『市町村合併で「地名」を殺すな』洋泉社)や溝手理太郎(月刊「地理」52-1)も同様の理由で批判している。一方、今尾恵介(『生まれる地名、消える地名』実業之日本社)のように、伊賀市が旧伊賀国の大部分を占めていることを理由に容認する向きもあり、専門家の間でも評価の分かれるところである。ただし、「伊賀」を郡と見た場合、当市域は旧伊賀郡(1896年、名張郡と統合して名賀郡に)の大部分を含んでいる。なお、旧伊賀町は阿山郡であり、旧伊賀郡(名賀郡)ではない。
^ 平成の大合併では、以前にあった県内の市のうち、津市、四日市市、桑名市、熊野市、松阪市、伊勢市、亀山市が合併しているが、いずれも以前の市名が踏襲されている。なお久居市は元来町制を引いており、1970年に市制施行。現在は津市と合併したため消滅している。

 

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